●なぜこのHP開設したのか?

 

人は誰もが、人生の中で、どこから生まれてきて、死んだ後の世界はどうなっているのだろうか? という疑問を持つのではないでしょうか?

 

 残念ながら、日本で占める死後の世界観は、何となく、余程悪いことをしない限り、特別の悪人でない限り、地獄に行くことは無いという考えで大方が占められているように思います。

 

 しかし叡智を基にして死後の世界を紐解くと、 通常の日本人は、あることを意識して実践して行かない限り、誰もが、ほとんど例外なくタウエースワンの加護の下で、 地獄の沙汰を受ける事になります。 

 

 地獄は、人間の生まれ変わる前に通過する大切な場所です。

 

死んだ世界でも、多少なりとも悪いカルマ(業)の解消のできる場所です。 地獄にて、それぞれの魂に嫌という言うほど、悪いカルマを積むという事はどうなることなのかを深く刻み込まれる訳なので、実はとても有り難い場所でもあります。 もちろん、莫大な徳積みと最小限の悪いカルマにより、テワダーや神の世界へ行く事も出来ます。 

 また、 いわゆるお釈迦様の説かれている最終地点、これ以上の深い幸福感は無いという程の場所、ニッパン(涅槃)へと到達するために、一所懸命 そこに向かって最高峰の山登りをする事も、しっかりとした最高峰のブッチギリの師がいれば、可能かもしれません。 

 

 

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 生きている間に出来る、大切な事は大きく分けて2つあるとの事です。

 

  1. 悪いカルマ(業)を積まない努力をする。
  2. 生きている人間にしか出来ない徳積みを出来る限りする。

 

生を全うする事は、死を同時に全うする事でもあり、来世にも繋がるという構図が見えてきます。 そして、今回の人生の行い次第では、次回に人間として生まれて来れるかという事すら定かではありません。 むしろ、行いが悪ければ、人間にすら生まれて来る事が許されない場合もあります。 例えば人間では無く、魚や野良犬などの動物として生まれ変わる事も良くある話だそうです。 

 

  また、あまりにも悪いカルマを積んでしまったならば、地獄に、もの凄い長い間の期間いる必要があるとの事です。 

 

 そして、本当に酷い場合は、地獄へ行く事すら出来ません。バッドスピリットの手先として動いていた人間の魂は、バッドスピリットからしてみると、美味しいエネルギー源となるそうです。 バッドスピリットが、その人間の魂を美味しく食べてしまいます。美味しく感じている間は、生まれ変わりのチャンスがなく、 飽きられまで、クチャクチャと食べられ、飽きられたら、ようやく食べカスを吐き捨てるようにして、 捨てられるそうです。 もちろん、その間は生まれ変わりの輪のシステムとは全く関係ない悪魔の支配下に置かれる事になるそうです。

 

 もちろん、地獄へすらも行けず、 酷い目や嫌な目に遭わざるをえない世界へと送り出されてしまう場合も良くあるそうですが、 細かい事を言えば切りが無いほど、この世界、あの世界とあるそうなので、大雑把に天国と地獄と人間界の3つに分けて、このサイトの説明をしています。

 

 もちろん、地獄での気が長くなるような長い期間での呵責が済めば、 次に再び人間として生まれて来させてもらえるかは、全てその魂の行い次第です。 ペナルティとして動物や魚として生まれて来なければならない場合の方が多いかもしれません。

 

 お釈迦様は弟子に対して、 人間で生まれて来る事が許される魂は、極々わずかである、と教えて下さいました。  どの位の魂が人間という存在として生まれて来る事が出来るのかと言えば、この地球上にある全ての砂(土)と比べて、  指先の爪の先に僅かに入り込んだ砂をすくって見せ、人間に生まれて来られる魂とは、この位の珍しいモノである、と教えられたそうです。

 

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 普通の人は今まで意識しなくても、人は犯罪を犯さない限り、地獄に行く事は無く、ぼんやりとではあるが、極楽浄土の世界に行く考え方が多いのではないでしょうか?

 

 その考え方が故に、道徳的に良い行いをしていれば十分という考え方が根底にあるような気がします。

そして現在の日本では五戒の最初の2つ(生・不飲酒)があまり焦点が当てられて来ていないようです。 (残りの、嘘を言わない、盗まない、不適切な性的関係を持たない。これらの事は、戒めとして深く認識されていると思われます。)

 

 そして徳積みに関しては、日本では人徳の徳と混同する程度の認識で、本来の徳積みの概念が、ほぼ無いのが現状です。 

 

今一度、死後の世界を見直す一石として投じたいという思いから、このHPを開設しました。

 

 人は誰でも自分にとって心地の良い言葉を受け入れやすく、心地悪い言葉を拒否する傾向が少なからずあります。 大人になって、自分が子供だった頃を振り返って見ると良くその言葉の意味を理解する事が出来るのではないかと思います。

 

 学校の勉強でも、大人になってから、もう少し頑張って勉強しておけば良かったと、思うことがあるように、死んだ後の勉強も生きている時にしておけば良かったと思う日が、ある日訪れる事もあるでしょう。

 

 ご一読された方にとって、生きていくという事、死んで行くという事を、違った角度から見直していく機会になれば幸いです。 特に今の日本に生まれる事は、他の国で生まれるよりも、多方面に渡り恵まれて生まれて来る事が多いわけです。 このように徳分があるにも関わらず、徳分の事を学ぶ機会も少なく、積む機会も少ないのが日本の現状です。 日本で生まれるという事は、別の見方をすれば、自分の過去生から持ち越した徳分をただ使い果たしてしまう国という見方も出来ます。

 

 是非、悪いカルマを積まない努力と徳分を積む生活こそが、 今世だけでなく、来世にとっても大切な事である事を思い出して頂きたいと思います。 

 

 徳分があれば、 カルマ解消に時期が来ても、大きな緩衝材となり、大難を小難に変えてくれる事もあるでしょう。 徳分があれば、何が本当に正しいかを知りうる可能性が沢山あります。 今の人生だけを見るのでなく、 次の人生まで見据えて生きていく事が本当の真理を学び実践するという事になります。

 

 徳分はテワダー(神と人間の中間層の存在。日本語ならば、天女(実際に女性のテワダーは、ナンファーといいます。)自身、神自身が容易に自分達自身で積む事が出来るものではありません。

 

実は、人間にだけに許されたものが、徳分を作るという行為です。(生きている間に徳分を積む行為を積極的できるのは人間の特権という見方も出来るでしょう。) 

 

これにてお話は終わりますが、そして最後とはなりますが、 この様な機会を与えてくださったタイ王国のアチャン・バラミーターン師、スワミ師とジュラマニ師のからお聞きした叡智を基に、このHPを作成出来た事に感謝申しあげます。

 

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備考

 

その1: このサイトは地獄というモノをおおむね理解する事を目的としています。 もっと細分化して見ていくことは出来るのですが、 例外や地獄以外の世界など、一度に併せて説明すると、理解しずらくなる可能性があります。 なので、先ず死後の世界には、人間として生まれ変わる前の地獄という世界、 そして莫大なる徳分のあるテワダー(神の使い)が住む極楽浄土、いわゆる天国(天界)という違いを理解する目的で作られています。 その他の世界は、基本的には、割愛しています。 

 

その2: 嫉妬、妬み、ヤキモチという感情は、非常に危ない感情なので、持ってはいけないと申し添えておきます。 徳分とカルマと関係する話であり、この話はとても大切な話なのでお伝えしたいと思います。

 

 煩悩や執着は良くないという事は前述しました。 しかし、嫉妬、妬み、ヤキモチという感情は、実は一番良くないとされます。 これらの感情を持つと、仮に強力なプロテクションとしてお守りを持っていても、偉大なる存在からの加護が無くなります。 自分で自分を汚す行為をしているからです。 それだけでなく、これらの感情はバッドスピリッツが大好きなので、自分自身でそういう存在を自然と招いてしまう事になります。

 

 では、なぜ嫉妬、妬み、ヤキモチという感情が生まれてくるかと言えば、誰かと比較するから、その感情が出て来るわけです。 そしてコレラの感情は、無知から生じます。 叡智を学んでいれば、紐解く事が出来ます。 

 

 あの人はお金がある、あの人は美人、あの人は仕事が出来る、あの人は才能がある。 これらは、もちろん努力もありますが、 結局のところ、魂の歴史、前世からの徳分とカルマの法則によるモノなのです。 過去生からの徳分やカルマが今に顕れている訳です。

 

 以前の過去生からの徳分により、 恵まれた状態である訳です。 恵まれた状態でなければ、過去生で、それに関する徳積みを行ってこなかったという事であるだけの話です。 

 

 嫉妬すれば、自分の状況は悪くなるばかりです。その他人の成功などを素直に喜んであげる事。 よしんば、自分も今世、もし仮に今世は無理であっても、来世に向けて、徳分を積み、悪いカルマを積まない努力をすれば良いだけの話なのです。 私たちの魂は、今回だけの話では無く、 過去世から今へ、そして来世へと繋がるモノであるという基本を忘れないで頂きたいと思います。

 

その3:

 このお話は、真理を基にお話をしています。 いわゆる本質を理解しようという考えから成り立っています。 ですので、◯◯教、△◯教という、切り口からのお話ではありません。 このような話をすると、どこの変な宗教だろう、とお考えを持つ方もいらっしゃるかも知れませんが、深く真理を求めてくると、深い深いお釈迦様の叡智に辿り着く、というだけの話です。 宇宙の成り立ち、神々の世界、スピリッツの世界、天国や地獄の成り立ちというものは、 実際 お釈迦様のように、全てを理解する力(パンヤー)をお持ちの方や、涅槃(ニッパン)へ到達できるアラハン・レベルの方からのお話しを基にしています。 そして今は、ギリギリでこのダルマ(お釈迦様が説かれた法、真理、すべき義務)が、何とか残っている幸いな時期でもあります。